ノーギャラで引き受けたい仕事
最初の職場で出会った、デザイナーでプランナーなお師匠。
何をどう間違えたか僕を採用するなどという愚を冒し、なんだかんだで20年以上のお付き合いになる。
「ちゃんと生きる」を体現しているようなお師匠の仕事ぶりから、仕事以外にもたくさんのことを学べたし、まだまだ教えを請わねばならないことも多い。
10年くらいで互いに別の道へ進んだけれど、それからも折にふれ仕事を依頼してくれて、そのたびに、仕事や人生やその他もろもろの話をするのが僕の楽しみだった。
お師匠が現役を引退してもう10年以上になる。
会う機会がめっきり減って寂しく思っていたが、先日、久しぶりにちょっとした仕事を依頼された。
慣れた作業だったのでサクッと作って送ったら、追加の依頼とギャラの話含めて会社に来るという。
いやいやいや、お金いただくほど手間はかかってない。
さんざんお世話になった方からギャラをいただくつもりもない。
でも自分がお師匠の立場だったら、やっぱり「ロハで」というのは心苦しいかなあ。
でもなー、お金受け取りたくないなあ。
そんなわけで、事情を知ってる社長の許可も得た上で「どうやってノーギャラで引き受けるか」を、ひとしきり考える。
えーお師匠お久しぶりでございます。お師匠におかれましては最後の弟子がこんな体たらくでまことに不運と申しましょうかはなはだ遺憾と申しましょうか今なおわたくしめにお声かけくださっ…ああっ弟子というのはわたくしが勝手にそう思っておるだけでございますのでどうかご容赦くださいますようおねがいもうしあげるしだいでございます。
それでですねこのたびこうしてささやかながらご恩返しの機会に恵まれたことにつきましてわたくしは感謝こそすれギャラをいくらくださいとかギャラはいくらでもいいですなど口に出すだけでもバチが当たると思っておりますのでどうかそのあたりお汲み取りいただいてですね、ホントマジでおねがいですからロハでやらせてくださいよお金は僕もう売るほどありますのでええもちろんウソですけど。
お金の話はいいのでかわりにちょっと相談させてくださいお師匠。今こういう仕事しててですね……っていう流れに持ちこんであわよくばお師匠のお知恵を拝借して一儲けしてやろううっひっひ、というかんじでいかがでしょうかお師匠!
仕方ないだろ。お師匠の前ではいい子でいたいんだよ。
はー、こんなふうに慕ってくれる弟子が僕にもいたらなあ、なんてゲスいことをふと思ってしまうから、僕は絶対にお師匠には追い付けない。
出会った当時のお師匠の年齢になりつつあるのに、僕は不肖の弟子のままだ。
息子の発達がちょっと心配
タイトルは下ネタじゃない(当ブログ通算3回目)。
1歳9カ月になろうとしている息子が喋ってくれない。
それ自体はそんなに心配してなかったけれど、妻が専門家に「発達が全体的にゆっくり」だと言われたとのこと。
1歳そこそこの子がやるような行動パターン、というのがその理由で「抵抗がなければ療育に通ってみて」と勧められた。
妻と話して、療育に通うかどうかはお医者さんに相談してから決めることにした。
おそらく、通うことになるだろう。
そうかーゆっくりかー……おとうさんに似たんだろうな。
就職も結婚も、昔から何もかもがワンテンポ遅れてるからなあ、僕。
まあでも、ゆっくりだったけど、僕は幸せになれた。
だから息子もきっと大丈夫。
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パンパースが改良されてた
以前こんなのを書いた。konkuso.hatenablog.com
昨日、薬局で息子のオムツ(パンツタイプLサイズ)を買ったら、パッケージも中身もデザインが変わっていた。
いくつか変更されていたけれど、細かいことはどうでもいい。
前側に「前」とちゃんと書いてある。
ありがとうP&G。ありがとうパンパース。
これでオムツ替えに慣れないおとうさんも間違えずにすみます。
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バイナリ―オプションはクレーンゲームで散財するのと似てる
バイナリ―オプションをやってるんだけど……という話。
タイトルはあくまで「僕にとって」という意味です。
タイトルからわかる通り、儲かったことはないです。負け組勉強中なので続きを読んでも何の参考にもなりません。
いつも1万円を入金して、地道に増やしていくのだけれど、途中までは調子がいいのです。勝率75%以上だから、悪くない数字だと思う。
この調子を維持することができればいいだけなのに、負けが二回続いたりして「とりもどそう」と思った瞬間からもうダメ。
躍起になって積み上げた資金をガンガン使い(マーチン)最後はもうどうにでもなーれ!状態。そこに理性などない。
こうして、超短時間で資金を失うのだからアホすぎる。
おかげで、せっかくの夏休みをすっきりした気持ちで終えることができなかった。
いったい何度同じことを繰り返したら気が済むのだ。
クレーンゲーム状態
この時の精神状態はパニックに近いというのもあるけれど、なんというか、ゲームセンターでクレーンゲームをやっている時に近い。
- 小銭がなくなるまでがんばっちゃう感覚。
- さっきまで「この小銭がなくなったら諦めよう」と思っていたのにお札を両替しちゃうような感覚。
- かけたお金を取り戻すためにお金を使ってる感覚。
- 諦めた後は「何やってんだろ…」という。まさにこれ。
「これはゲームじゃない」と理屈では分かっているのだけれど、目先の負け・失敗・損に気持ちを揺さぶられて歯止めが利かなくなってしまう。
水道管が破裂して水がダバダバ出ているのを、手で抑えようとしてる感じで、まったく無駄な抵抗をしているのにやめられないのだ。
だから「ゲームでない別の何か」として捉えることができないか、と考えているのだけれど、しっくりくる答えが見つからず困っている。
- 自分がやったことがあって
- 勝敗を冷静に見つめることができる(勝敗、という感覚じゃない方がいいのかもしれない)
そんなもの、あるだろうか?
さっさとこの負の連鎖から抜け出したい。あーもう。
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「女の機嫌の直し方」を読んでから「とりあえず共感」を意識し始めるの巻
「女の機嫌の直し方」は、取引先の人と雑談になった折に勧められた本。
なんだか過激なタイトルだけれど、著者は女性。
話を半分も聞かずに「こうすればいいじゃん?」と結論を話し始めてしまう僕に対して、相手の女性つまり妻がイライラしたりするのが日常でありまして、いい本を紹介してくださったなあと感謝している。
AI開発でコミュニケーション方法を考えるうえで「女性の会話」「男性の会話」の分析から入っているので読みやすかった。生理学的にどうの、と言われてもピンとこないのに、「対話エンジンが違う」と言われると「なるほど」と思っちゃうのが我ながら意外だった。
とりあえず共感オウム返しの術
女性の話にとりあえずでも「共感」してみよう、と意識して実践してみたら、あら不思議。会話がスムーズになった(ような気がする)。
「大変だったー!」に対して「そりゃあ大変だったね」と言うだけでいいのだ。口に出すと、それだけで「大変だった」気持ちにちょっとだけなれる。
相手の気持ちに寄り添うなんてのは昔から苦手だったし、本当のところ、相手の気持ちなんてわからない。わからないのに気持ちをぶつけられても困ってしまう。
それが、最初にちょっとだけ「そういう気持ちになる」ことで、なんだか話を聞くのがラクになった(ような気がする)。
これで解決!じゃないけど
(ような気がする)のは、単に「とりあえず共感してみよう」に意識が向いていて、話を集中して聞いていないだけではないか、という疑念がぬぐえないからだ。
でも、それで妻のイライラの元ではなく、癒しになれるのならそれでもいいのだと思うことにした。
「こんくそさんて聞き上手だから何でも話せちゃう」とかパイオツカイデーなチャンネーに上目遣いでささやかれちゃう日は…たぶん来ない。
「ぶつけたら痛い」システムはいつ装備されるのか興味津々
息子が言葉を発するのを楽しみに待っているのだけれど、「いつしゃべるようになるか」というのと同時に、ふと疑問がわいたのでメモしておくことにした。
それは「体のどこかをぶつけた時に、思わず『痛っ!!』と言葉を発してしまうようになるのはいつからだろう」ということ。
おとうさんの場合
頭をぶつけた直後に(たとえそれが痛くない時でも)「痛っ!」という。
ぶつける = 痛い
が実装されている模様。
さらに「痛いということを脳まで届かせずに言葉にして発する機能」も実装済み(たぶん)。
息子の場合
頭をぶつけてしばらくしたあと泣き出すのが現在のパターン。
ぶつける → ……。 → 痛い → うわーん!
なんとものんびりした?タイムラグがある。
喃語は発するから、ぶつけた直後に「ふにゃ!」でも「うっ!」でも出てくるかと思ったけど、今のところそれもない。
一体いつ、「ぶつけたら痛い」システムは構築されるのか
ヒトという動物で考えた場合、集団に危険を知らせる意味で「これ痛いです!」と声をあげるおとうさんもある意味正しい気がするし、身を守る意味でむやみに声をあげない息子の反応も正しい気がする(泣くけど)。
言葉うんぬんの前に、ある程度の社会性が身につかないと実装されないシステムなのかもしれない、などと勝手に想像をふくらませている。
息子が「痛っ!」という瞬間、その場に居合わせたいなあ。
「さようなら」って使わないなあ
NHKの「夏休みこども科学電話相談」を聞くのが夏の楽しみの一つだ。
子どもの質問に答えて電話を切る前に「さようなら」とあいさつをしているのを聞くと、「日常生活で『さようなら』を使う機会がないな」と思う。これも毎年のこと。
幼稚園や小学校で、帰りのあいさつをしていたころは
「せんせいさようなら、みなさんさようなら」
と声を揃えて言っていたのに、いつから「さようなら」を使わなくなってしまったのだろう。
成長過程のどこかの時点で「さようなら=別れ・死のイメージ=縁起の悪い言葉」になってしまい、以後大人になっても敢えて使わないようにしている、というのが何となく推測できるけど、確かなことはわからない。
死亡フラグっぽいから使わない、ということなら「いってきます」「今日は早く帰るよ」とかもそのうち使われなくなるんじゃなかろうか(蛇足)。