こんくそブログ

少しだけ人生を無駄づかいしたくなったら。

カキ・カニ・魚のない暮らし

妻はカレー、ハンバーグといった、どちらかといえば子どもっぽいメニューが好きで、カニ、貝類、魚が苦手。

苦手なものがあるのは仕方ないにせよ、たとえば旬の食材を味わうことへの関心が低いというか、初めて目にした食材やメニューは食べようとしないとか、食べることは好きなのにどうして?と思う。

何年か前、妻は友人とホテルのバイキングに行き、自宅でなかなか作れない料理とか珍しい食材を使った料理がたくさんあったのに、ソーセージだの卵焼きだの焼きそばだの、家でも食べられそうなものばかり持ってきて友人を呆れさせた。

回転寿司で食べるものと言えば、決まってまぐろ(赤身の刺身は好きなんだってさ)と卵とサーモンとエビ、あとはケーキとかデザート。

披露宴とか法事とか、ちょっとお高い料理が並ぶ席では、楽しみよりむしろ「食べられるかどうか」を心配している。

そのくせ「私は『おいしい』の幅が広い」と言い張るのでわけがわからない。

 

義理の母は料理が苦手で、スーパーのお惣菜が並ぶことの方が多かったそう。それが影響しているかはわからないけれど、なんかもうちょっといろいろ食べようよ、と思う。

食べたいものを食べて何が悪いのだ、と言われればそれまでなんだけど、子どもにはいろいろなものを食べさせてあげたい。どうせ大人になったら、自分の好きなものしか食べなくなるのだ。ただ、やっぱりいろいろな味を知っておいたほうがいいと思うんだ。

 

なんだかんだ書いたけど、結局のところ外食すればいいのだ。それなら夫婦で別メニューだって問題ない。でも、息子が小さいから外食が極端に少なくなっているのです。

ああ、おいしいカキフライとキスの天ぷらが食べたいなあ。

 

ちょっとの油でサクッとおいしい 「揚げない」揚げもの

ちょっとの油でサクッとおいしい 「揚げない」揚げもの

 

 

子どもが泣き止まないときに試したこと

昨夜は今までになく息子の機嫌が悪く、ギャン泣きした。

抱っこしても泣き止まず途方に暮れたのだけれど、ちょっとしたことで泣き止ませることができたので、備忘録として。

1)吊るしてある室内干しの洗濯物の間をくぐりぬける

「うわーい」と言いながら、抱っこした息子と一緒に洗濯物の間に突っ込む。

2)吊るしてあるピンチハンガーに向かって仰向けに持ち上げる

洗濯ばさみが好きみたい。モビールも触りたがるし、上からぶらさがってるたくさんのものが不規則に動くのが楽しいのかもしれない。何か作ってあげようかな。

3)リズミカルな「かごめかごめ」の鼻歌を歌いつつ尻をふる

これは説明が必要。グズっていて抱っこも嫌がっていたのに、急に笑い出したのでどうしたのかと思うくらい効果が高かった。弱点と言えば人前でできないことくらいだ。

♪ か~ごめ か!ご!め!

♪ か~ごのな~かの と!り!は!

抱っこして、ゆらゆらリズムをとりながら、「かごめかごめ」の鼻歌を歌う。

最後の三文字のところで、お腹をくっつけたまま勢いよくお尻を左右に振る

種明かしすると、「お腹がこすれてくすぐったい」らしい。しばらく続けたら、笑い疲れたのか眠ってくれた。

「普通にくすぐったらいいのではないか」という当然の疑問は謹んで却下させていただきます。これで自分のイライラも発散させているのだ。お尻を振ったのもほとんど無意識だったのだ。

今朝は教えてあげられなかったので、帰ったら妻にも伝授してあげよう。

奥さんのおしりふりふりダンスが見られるぞー!

 

Flensted Mobiles(フレンステッドモビール) フレンステッドモビール バルーンモビール5 FSM-13-045
 

 

子どもに不意打ちを食らって眼球負傷

昨日の朝、息子をあやしていたら目つぶしを食らった。

メガネのフレームの隙間をついてきた。完全に死角。

「ぐぉわっ!!」

という情けない声を挙げてしまった。痛いぞ、かなり。

洗濯をしていた妻が「どーしたー?」とのんきな声で聞いてきたので言いつけてやったぜ。

息子を妻に任せて洗眼したけど、沁みて目がまともに開けられない。当たった箇所が白目だったのと、出血もなかったので様子見をすることにした(目を怪我すると何が出るのかわからないけど)。一日限定独眼竜。

今朝もまだ少し目が沁みたけれど、だいぶ回復した。これなら眼科に行かずに済みそうだ。

ただ、息子が不意に手を挙げると身構えるようになってしまったので、ちょっとしたトラウマを植え付けられたかもしれない。

 

ところで今回の事故について、ふと思ったこと。

子どもの行動に関して、今は完全に親の責任だと思っているからか、目つぶし食らってもオムツ替えの時暴れても腹は立たない。では、息子がどのくらいの時期になったら息子の行動に怒りを覚えるようになるのだろう?

やはりイヤイヤ期だろうか……イヤイヤ程度で父を翻弄しようだなんて甘いんだよ、と余裕ぶっこいてるけど、たぶん大変なんだろうな。

その時がこわくもあり、楽しみでもあり。

 

ふうせんねこ (あーんあんの絵本 2)

ふうせんねこ (あーんあんの絵本 2)

 

 

オースティン!オースティンはおるか!(ガーデンスケイプ:Gardenscapes)

どうなっているのだ。ステージ185をクリアするのに5日もかかったぞ。

5日もかかったのに、なんなの?そのムカつく拍手。 

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そもそもなぜ「執事であるお前がなくしたモノを探す」ために「主人である僕が2ステージもクリア」せねばならんのだ?

おかげでちっとも庭園とやらが完成しないじゃないか!

頼むからこれ以上仕事を増やさないでくれないか!

ガーデンスケイプ (Gardenscapes)

ガーデンスケイプ (Gardenscapes)

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だいたいな、僕は今市長業に忙しいんだ。まちづくりだよ、まちづくり!

庭園よりも、もっとスッケールがビィッグな仕事をしてるんだよ!

タウンシップ (Township)

タウンシップ (Township)

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まったく、農作物を育てたりハンバーガーを作ったり、これ本当に市長の仕事か?って感じだが、人口もそこそこ増えてきてな。忙しいったらないんだぞ?

町の連中は注文と称してアレを作れだのコレを買ってこいだのワガママばかり言うし。って……

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……いやー、仕事の間は屋敷特にお前のことを忘れていたかったのに、お前の方から会いに来てくれるとはね。

おまけに、棚ボタで遺産を受け継いだだけとはいえ、仮にもご主人様に向かって「これがリストだ。急いでくれ。」と。理由が「庭のバラが早く見たいから」と。

オースティン、偉くなったんだなあ。いえいえ、もちろん市民の方のご要望ですから、よろこんでご用意いたしますとも。さ、どうぞ。

あー、オースティン。屋敷に帰ったら辞表を用意しておいてくれよ。

もちろん、お前のだ。

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「あか」を覚えたら「あお」を忘れ、ついでに父も忘れられた

いろいろばあ』は、とても楽しい絵本だ。

絵本をめくりながら『あか』『あお』『きいろ』を何度も読み聞かせ、ブロックで遊ぶとき、それぞれの色のブロックを見せながら『あか』『あお』『きいろ』と言って聞かせること数日。息子に色を理解させようと試みている。

 

『あお』は比較的言葉にしやすいのだろう、割と早くから言えるようになった。

『あお』という言葉と色が結びついているとは思えないが、僕が「あお」と言えば「あお」と返せるようになった。次は『あか』だな。

 

「あ・か」

「あっか」

よっしゃ!

「そうそう。『あ・か』」

「あっか!」

やったよ!『あか』と言えるようになった!

 

あか です。いろいろ……ばぁ!」

「あっか!」

「そうそう!あ・か!」

「あっか!」

 

あお です。いろいろ……」

「あっか!」

え。

「あ・お です。」

「あっか!」

 

『あか』の自主練が始まった。『あお』と言ってくれない。

 

「おとうさん」

「あっか!」

「お・と・う・さ・ん」

「あっかー!」

 

『あお』と一緒に、おとうさんも忘れられてしまった。

 

いろいろ ばあ

いろいろ ばあ

 

 

子どもの頃の記憶があまりない。

子どもの写真とか動画とか簡単に残せるようになった。いい時代だ。妻が時々「今日はこうだった」と息子の写真を送ってくれるのが嬉しい。

 

他の人はどうかわからないけれど、僕は子どもの頃の自分がどんなだったのか、ほとんど思い出せない。具体的なエピソードとか、その時どんな気持ちだったとか、思い出そうとしても霞がかかったように現実味がない上に断片的。写真があれば思い出す助けになるかもしれないけれど、僕の場合はそれすら怪しい。

妻や妹は「あの時ああだったこうだった」とまるでついさっき見てきたように話す。女性というのはどうしてああも鮮明に物事を記憶しているのだろう(半分くらい「盛ってる」んじゃないか、とすら思える)。

親となった今、息子にどれだけのことをしてやれるかわからないけれど、息子もほとんど忘れられてしまうのだろうか。そう思うとちょっとショック。

 

僕は小学生の間に2回転校、つまり3つの小学校に通った。最初は2年生、つぎは5年生になる時。

最初の小学校は、クラスメイトも担任も覚えていない。ま、1年生なんてそんなもんだろうたぶん。

次の小学校は、木造のオンボロ校舎だった。3年生だったか4年生だったか新築の校舎に全校生徒で自分の机を持って引っ越したこと、やたら元気な女の子がいてなぜか僕だけ名前を呼び捨てにされていたこと、自宅と公園をはさんだ反対側に住んでいた女の子が好きで、しょうもないプレゼントを持っては遊びに行っていたこと、その子にほっぺにチューされて困ったこと(チューなんてとても恥ずかしいことだし、してはいけないことなのだ)、先生にナメた口調で返答して怒鳴られたこと、忘れ物の罰で手首にゴムつけてぱちーんてやられたことなど、ちょっとだけ思い出せる。運動会がどうとか水泳大会がどうとか、そういうのはまるで思い出せない。

3校目は、転校初日に担任の先生がやたら怖くて不安を覚えた。ゲンコツが容赦なかったけど、いい先生だった。好きな子に夢中になったり(天パの綺麗な子で、その後とびきりの美人になった)、同じラジオ番組が好きな友人ができたり。宿題のドリルをスピード競技よろしくスゴイスピードで片付けたり。平泳ぎの足の動きのお手本をさせられて得意げだったり。土星貧乏だったけど、幸せな時代だった気がする。でもやっぱり運動会とかイベント系は思い出せない。

さすがに5、6年生にもなればもっといろいろ覚えてると思ったけれど、生前に母から聞かされてもさっぱり思い出せないことがあって驚かされた。

  • 小遣いで文鳥の雛を買った(覚えてる)
  • 餌をやらなきゃならんので学校に連れて行った(覚えてない)
  • ちょっと問題視した担任と母との間で何らかのやりとりがあって(知らない)
  • なんやかんやで学校に引き続き連れて行った(覚えてない)

個人的には割とビッグなイベントなはずなのに、メインが完全に抜け落ちている。だいたい、学校に鳥かごを持っていくことに何の疑問も抱かなかったのか、歩いて3~40分ほどかかる通学路、デカい鳥かごを持ってどうやって通学したのか、クラスメイトはどう反応したのか、雛がお腹がすいてピヨピヨ鳴いたら授業中どうしたのか、全然記憶がないんだ。……息子が同じことをしようとしたら、どうしよう。

 

なぜこんなにも覚えていないのか。結局のところ「思い返す」ということをまるでしてこなかったのだろう、と。学校で嫌なことがあったら家で発散し、家で嫌なことがあっても学校で楽しければ忘れてたんだろう(そう思うしかない)。そうでもなければ、どこかで頭を強く打ったか空飛ぶ円盤に何かを埋め込まれたかしたに違いない。

何か原因があったとしても、その原因を覚えていないのだから仕方がない。「思い出を振り返るなんて子どもらしくない。だから覚えてなくて当然だ」と思うことにした。

もういいやそれで!

息子には、日記をつけるよう勧めよう…。

 

あなたのいない記憶

あなたのいない記憶