道徳って難しくて苦手だった
NHK「クローズアップ現代+」で「道徳」が教科になったという話題があったらしく、まとめられてた。
上記をざっと読んだ感じでは、僕はこの少数派の男の子なタイプだったので、見られなかったのがとても残念。
泣くな少年よ。君はやさしくて、いいやつだ。
ともあれ、これからは通信簿に「成績」がつくってことかな?
僕には苦手な科目になりそうだな…というのも、道徳の授業で「何を言わせたいのか」が僕にはよく分からなかったから。
そもそも、道徳の問題って難しすぎるんだ。
① 子ども(たかし)がお母さんにお手伝いの請求書を発行
② 請求したお金と「お母さんからの請求書」がたかしの手に
③ お母さんからの請求書には、病気の看病代や洗濯代、その他もろもろの項目と「0円」の文字
④ たかし反省。ごめんねお母さん。
質問「お母さんはどんな気持ちでたかしに請求書を渡したのでしょうか?」
そんなのわかるわけないだろ。
「クッソたかしめもう絶対手伝いなんて頼まねえ!」かもしれないじゃないか。
この話の中では、たかしは反省してる。だからお母さんは「たかし、家族にお金を請求したりするもんじゃないよ」と言いたかったんだろうな…と思えるかもしれないけど、そういうことじゃない。人が考えてることなんてわからないよ。
子どもの頃の僕は、どんな答えを出すだろう。
なんで0円なんだろう。0円でいいのかな?
お金ほしくないってことかな?
ほしくないなら請求書なんて書かないよね。
あ、僕(たかし)にお金がないから0円にしてくれてるのかな?
僕の答え「お金ほしいけど、たかしは子どもだから0円でいいよ」
……番組で泣いた男の子の方がよっぽど考えてるわ。
そんなことを考えていたら、自分が小学生だったころの出来事を思い出した。
当時の担任はそりゃもうおっかない先生で、ゲンコツなんていくつもらったかわからない(忘れ物してゴチーン、がメインだったけど)。
博識で礼儀に厳しくて、体罰の是非はもちろんあるだろうけど、父のいない僕が「父親ってこんな感じ」な印象を持つに十分な、思い出に残るいい先生だった。
ある時「今日はいい天気だし、つくしを取りに行くぞ」と、クラス全員で先生と先生が食べるつくしを取りに行ったことがある。みんなでわいわいと取っては集めた。今思うと大らかな時代だったなあと思う。
その日は暖かくていい天気でさ。
僕はふと、つくしを2、3本、家に持って帰ろうと思った。
母にあげたかったんだ。食べたいと思ったわけじゃない。
毎日忙しく働く母に、春をプレゼントしたかった。
喜んでくれるだろうなあ…と、とてもいいことを思いついた気になっていた。
そこに先生の声。
「それっぽっち持って帰っても仕方ないだろ。ここに入れろ」
男がほら、お母さんにあげたいとか言えないし、別に食べたいわけじゃないし、ということでしぶしぶカゴだったかザルだったかにつくしを放り込んだけど、なんだか悲しくなってしまった。
先生は僕が「それっぽっち」のつくしを食べたいなんて思っているんだろうか。
先生の言葉を聞いたみんなも、そう思っているんだろうか。
もうたくさんあるんだから、ちょっとくらい持って帰っても別にいいじゃないか。
みんなも「お母さんに持って帰ってあげよう」とか思わないのかなあ。
普段はペラペラとおしゃべりなくせに、こういう時に思ったことを言葉にできないのはどうしてだろう。とにかく、なんだか「これっぽっち」のつくしを持って帰ろうと思った自分がとても「変なこと」をしようとしていたのでは…という気持ちになったのだ。
自分が思っていることは「普通」じゃないのかもしれない、という不安。
自分の意見が「みんな」と違っていた時の恐怖。
そういうものの受け止め方を知らなかった頃の思い出。
先生方におかれましては道徳の授業、がんばってください。
「特別の教科 道徳」ってなんだ?: 子どもの内面に介入しない授業・評価の実践例
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