こんくそブログ

少しだけ人生を無駄づかいしたくなったら。

言葉一つで命を失わずに済んだ話

子どもの頃はとても貧しかった。

ボロい長屋みたいな借家に住んでいて、家族は母一人子ども三人。
ポロポロ崩れる壁、汲み取り式の便所。電気・電話・ガスが止められるなんてしょっちゅう。当時小学生の僕と幼い弟妹は、毎日遅くまで働く母の帰りを待っていた。

子守りといえば聞こえはいいけど、もっぱら弟妹と遊んだり本を読んだりして時間を過ごしていた。宿題は、朝学校に登校してから殴り書きで済ませていた。

何もわからないボケボケっとした子どもだった僕は、母の苦労に思いが至ることもなく、家事を手伝うということをしなかった。母にしてみれば、小学校高学年にしてはまったく頼りにならない子どもだっただろう。

疲れて帰ってきた母が、台所に放置された僕らの給食袋にキレる。自分の箸くらい洗っておきなさいよ!と。
おやつ代わりにご飯に醤油をかけて食べたりもしていたが、食べた後炊いておかなかったから、夕飯の支度も大変だったろうな。
部屋が散らかっていて怒られることも多く……書いていたら要するに躾のできていないガキみたいではないか。母の墓前で土下座をして謝りたいレベル

少しは家事を手伝え、と当時の自分とついでに全国の小学生男子諸君に言いたい。
いいか、お母さんは大事にしろ。

 

そんな毎日が何となく続いていたけれど、不思議と自分が不幸だと思ったことは一度もなかった。

電気を止められたらろうそくに火をつけてみたり(王立宇宙軍みたい)、ガスが止められたら電気ポットのお湯でカップラーメンを作って分け合ったり。電話なんて使うことないし。弟妹がいたおかげでさみしいと感じることもなかった。

お金がないのは仕方ないしどうしようもないので、お金がないなりに遊ぶだけ。
お金がないことを嘆く、なんて思いつきもしない(自分で稼ぐとか盗むとかいう発想もない)。子どもってイイね!

そう。僕自身はちっとも不幸じゃなかったのだ。たぶん弟妹も。
当時の状況に苦しんでいたのは、母だけだった。
さぞ孤独だったろうな……今となっては聞くこともかなわない。

 

僕が大人になってから、母に聞かされたことがある。

あのボロ家時代、母が僕に「みんなで死んじゃおうか」と言ったことがある、と。
仕事も大変で、貧しくて、頼るところもない。母にとって一番キツイ時期だった。日本経済はイケイケだったとはいえ、子ども3人抱えて女手ひとつ、大変でないわけがない。とっくに限界を超えていたのだ。

「でもその時、あなたが『僕にはまだやりたいことがあるんだ』って言ったから、その一言で『がんばろう!』って思い直したのよ」

たった一言で一家心中を未然に防いだ当時の僕、超グッジョブ。
思いとどまってくれた当時の母も、超グッジョブ。

 

話を聞くまですっかり忘れていたのだから僕もお気楽なもんだ。
もしまた母が死のうと思ってしまったら、僕は殺されるかもしれないと思わなかったあたり、やっぱり僕はバカなんだろうか?

いや、そのくらい子どもは親を信じているんだ。「がんばる」という親の言葉を信じて疑わないんだ。そんな大変なことがあったことすら、忘れてしまえるくらいに。
だから、親による子どもの虐待をニュースを聞いたりすると、本当に心が痛む。

ところで僕の「やりたいこと」は何だったのか。実はそんなものはなかった。
ただ死ぬなんて考えたくないし、なんで母がそんなことを言うのか分からなくて怖かった。だから、口から出まかせを言ったのだ。
「やりたいことって何?」なんて聞き返されなくてよかったよ。
死なないために、嘘の「やりたいこと」に向かって努力しないといけなくなるじゃないか。

もし聞き返されていたら、今頃とんでもない職に就いていたかもしれない。
総理大臣とか。

 

今日は死ぬのにもってこいの日

今日は死ぬのにもってこいの日