給食の思い出
給食が美味しくなくてほとんどの子が残したという記事を見て。
僕が子どもの頃も給食が美味しくなかったなあ。
キャベツの芯がゴロゴロ入った、野菜をざく切りにしてマヨネーズであえた「サラダ」が出たことがあった。野菜から出た水でマヨネーズもシャビシャビのやつ。
当時小学校低学年で偏食もちだった僕は、その匂いも味もダメだった。
何とか口に入れようとするのだけれど、えずいちゃう。一口二口は牛乳と一緒に飲み込んだけれど、それ以上はどうしても箸じゃなくてフォークをつけることができなかった。
当時、給食を残すことは許されなかった。
食べ終わるまでは机の上に給食を置いたまま。昼休みも、午後の授業中も、掃除の時間も、帰りの会も、放課後も、ずっと僕だけ、給食を前にじっと座っていることになった。そのサラダのようなものを見つめたまま。
放課後みんながとっくに帰ったころ、雨が降り出した。
ひとりポツンと教室に残り、なぜみんなは平気なのに僕だけ食べられないんだろうとか、どうしてこんなものが食べられるんだろうとか、給食の先生はなんでこんなのを作るんだろうとか、残すのは悪いことだけど口に入れたら絶対に吐くから同じじゃないかとか、いろいろ考えていたけれど、結局どうしていいかわからず、ただただ時間が過ぎていった。
暗くなり始めたころ、担任の先生が教室にやってきて「帰っていい」と言った。
食べられなかったことについて、何を言われたかは覚えていない。何も言われなかったかもしれない。叱られた記憶はない。先生や給食の先生への恨みつらみもない。「やっと帰れる」という安堵だけがあった。
「はい」と返事をして給食室にトレイを持っていったあと、片道40分の通学路を、傘もないままトボトボと帰った。
その後も、控えめに言ってそのクソマズイ残飯みたいなサラダ(書いていて昔の自分がかわいそうになったのと、なんだか腹が立ってきたのでこう書く)は、何度か給食に出たはずだ。またこれか嫌だなあと思った記憶はあるけれど、どういうわけか放課後まで残された記憶はない。自分がそれを食べたという記憶もない。給食当番のクラスメイトが僕の分を芯がないようにしてくれたとか、そういうことがあったのかもしれない。
家での食事はどうだったろう?ロールキャベツは好きだったし、母がいろいろ工夫してくれていたのだと思う。ただ、生のキャベツは手をつけなかった気がする。
キャベツを食べた!とはっきり覚えているのは、高学年になって家庭科でサラダを作った時だ。千切りにしたキャベツに、サラダ油と塩コショウで作ったドレッシングをかけたシンプルなサラダ。
サラダを作ると聞いて憂鬱だったけれど、自分で作ったこと、千切りだったこと、シャビシャビのマヨネーズじゃなくてドレッシングだったのが良かったのだろう。初めてキャベツを食べて「美味しい」と思えた。
キャベツを刻むとき、芯を切り落とすと習った。今日作って食べたものがサラダだとしたら、あの芯だらけの、千切りじゃなくデカいカタマリが入ったアレはなんなのだ。僕は、給食の先生はサラダの作り方を知らないんじゃないか、と思った。
マヨネーズについてもそうだ。あのシャビシャビしたのがマヨネーズだと思っていた。後年、むにゅむにゅっと出したマヨネーズをキュウリにつけて食べたとき、初めて「美味しい」と思った。やっぱり、給食の先生は以下略。
あれから、野菜が品種改良で美味しくなったことや、大人になるにしたがって美味しいの幅が広がったことで、大抵のものを美味しく食べられるようになった。
でも、今でもコールスローサラダは苦手だ。