Googleフォト使っててよかった
けっこう長いこと、Googleフォトを使っている。
スマホやカメラで撮影した写真や動画を自動でアップロードする設定にしているので、どんな端末で撮ってもひとまとめにできるので便利に使っている。ほしい写真も適当な検索語句で見つけやすいのもさすがGoogleというか。
このGoogleフォトについている「アシスタント」という機能が、ときどきお節介をしてくれる。
撮った写真を勝手に補正してくれたり、同じカットを複数枚撮影するとパラパラ動画みたいにGIFファイル?を作ってしてくれたり。
気に入ったものはダウンロードすればいいし、いらないと思ったら放っておけばいい。
僕は、自分の写真をまとめられるだけで充分だと思っていたので、この「アシスタント」という機能が一体何の役に立っているのかわからなかった。
とはいえ、こうしたお節介のたびにGoogleフォトが「こんなの作ってみたんだけど!」と通知してくる様子が、大したことをしたわけでもないのに「ねえねえほめてほめて!」と言ってくる飼い犬みたいで、僕はこの「アシスタント」という機能自体は嫌いではなかった。
今日、いつものようにアシスタントがお節介を焼いてくれたのだけれど、今回は一味違っていた。
「成長記録」という名前のムービーが出来上がっていた。もちろん、息子のだ。
Googleフォトに収められた約2年分の息子の写真や動画をピックアップして、音楽つきの動画に仕立てられていた。
生まれた直後の写真から、ハイハイを始めたり、ベビー用のフェンスにつかまってニコニコ笑いかけたり。妻ががんばって高い高いをしていたり。懐かしくて愛らしくて、不覚にも目頭が熱くなった。
アシスタントが動画を作ってくれたのは初めてだ。
初めての動画が息子ので、しかもタイトルが「成長記録」とかあんまりだ。
いつか息子が結婚するときに動画を編集して親の深くて大きな愛の前で息子思わず涙ドバァッ!みたいなことをしてやろうと思っていたのに、自分がいきなりGoogleにやられてしまった。
ありがとうGoogleフォト。写真も動画もたくさん撮るのでまたおねがいします。
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バツイチ男が寄ってくる女友達の話
友人の女性が、結婚しようと思った男が二人ともバツイチだった。
一人目も二人目も女性関係でバツがついた男。そして彼女もまた、女性問題で別れる羽目になった。立て続けにそんな男とつきあい(言葉は悪いが)捨てられた彼女はとても傷ついた。
そして「どうしてバツイチばかり寄ってくるんだろう?」と、男運の悪さに悩んでいる。
っていう相談されたんだけど、どうしてでしょうね?と、知人の女性に聞かれた(ややこしい)。
……そんなこと僕に聞かれても困るよ。
バツイチ男が魅力的という説
僕は、地味でイケメンでもなくて金も筋肉も体力も趣味もない自分のような男と結婚してくれるような相手がいるとも思えなかったし、女性と知り合う機会も少なかったし、結婚する必要も感じていなかったし、惚れっぽいクセに女性との付き合い方とかよくわからないから嫌われるくらいなら深入りしないほうがいいと思っていたし、っていうか要するに非モテでありますもんですから、妻と結婚できたのも30代半ばを超えてから。
そんなわけで乏しい乏しい自分の経験を前提に答えるなら、という長い前置きを述べたうえで、こう答えた。
「彼女にはバツイチ男が魅力的に見えていて、自分でバツイチを選んでいるんじゃない?」
ここで謎の理論が誕生。
結婚した。
→女性の僕に対する接し方が変わった。
→僕の女性への接し方も変わった。
→女性からの評価が上がった。
つまり女性にとって、独身の僕よりも結婚後の僕の方が魅力的……①
独身の僕=未婚男性……②
結婚後の僕=結婚経験のある男性……③
①~③より、
独身男性よりも結婚経験のある男性の方が魅力的(証明終)
(注意:当記事のカテゴリーは「妄想」であります)
ケッコンてスゴイ!おんなのひとがやさしくしてくれる!
既婚であるというだけで、女性に安心して接してもらえる。
おかげで、こちらも安心して女性と接することができるのだ。
何を言っているのだと思うかもしれないけどね、
もう独身の頃のように、話しかけただけで「うわコイツひょっとしてアタシに気があるの?キモイ!」って思われたらもう生きていけないとか、「そんなつもりないよ!」なんて言おうものなら「アンタなに上から目線で『お前は対象外』みたいなこと言ってんの?何様?」って言われるに違いないとか心配しなくていいんだ!(吐血)
好きな女性の前で他の女性にやさしくして誤解されたらどうしようとか、好きな女性以外の人にやさしくして好意を持たれたらどうしようとか、ありもしない妄想をしなくていいんだ!(死亡)
結婚して女性に無害認定されたおかげで、女性に気負いなく接し、コミュニケーションする機会が増えた。普通のことを普通にできるようになって(女にはやさしくしろって爺ちゃんが言ってた)、元々低かった女性からの評価は相対的に上がったんだよ。
お世辞でも妻に「いい旦那さんをつかまえてうらやましい」なんて言う人が出てくるなんて、夢にも思わなかった。
爺ちゃん、ありがとう。ありがとう、お世辞。
あ……どうしよう気がついちゃった。
今僕が独身だったら、すっごいモテそうな気がする!
(注意:当記事のカテゴリーは「妄想」であります(再掲))
こうして対女性コミュニケーション能力の向上は、僕の心にある変化をもたらした。
今の僕なら、女性はこわくない。
もし今離婚して独身に戻ったりしたら……ちょうやばいかもだぜ。
美人だからってエンリョなくいくぜ!
(注意:当記事のカテゴリーは「妄想」であります(再々掲))
冒頭の女性(美人らしい)がなぜ、あんな男たちを好きになったのか。
そしてなぜ、バツイチ男が寄ってくるのか。
もう答えは決まっている。
俺たちが魅力的に見えないはずがn(注意:当記事のカテゴリーは「妄想」であります(再々々掲))
前の職場がギスギスしてるらしい
こんな記事を書いた後、別の元同僚から我が家に遊びに来たいと連絡があった。
話すことが積もり積もっているとのこと。会うのは僕の退職以来なので楽しみにしていた。
久しぶりに見た彼は元気で、面白おかしい口調も相変わらず。
内容は結構深刻だったんだけどさ。
居心地の悪い職場になってる
前職場は、コミュニケーション不全が原因のトラブルが多発していた。
各部署内の連携が悪く、それが部署間の関係も悪化させている。
なかでも、僕がいた部署がギクシャクしている、というのが実にやるせない。
互いの協力がないと進まない「制作の現場」だから、社内でも結束が強い、それなりにまとまりのある部署だった。
それが今は、僕が辞めた後で就任した効率重視派の新リーダーと、サービス重視派のメンバー、二人の冷戦が表面化して、仕事中はお通夜のように静かだという。
二人とも頑固なうえに「相手に理解してもらえるように話すことが苦手」という、ベクトルが違うだけの似た者同士だから始末が悪い。
女性社員も多く、社内を和やかにする中心的な部署だけに、今の息苦しい空気はそのまま会社全体を居心地の悪いものにしている様子。
そんなだから、人当たりのいい彼に「いろんな人が愚痴を聞かせにくるんです」。
ええ、そうでしょうとも。
感謝と思いやりとやさしさが足りないゾ
チームリーダーは効率を追求するあまり、リーダーとして端折ってはいけないことまで端折ってしまっているようだ。
コミュニケーションも必要最低限。つまり、やさしくない。
「部署内のコミュニケーションをもう少し増やそう」という声も上がったけれど、うやむやになってしまったとのこと。
リーダーなのに孤立してしまっているようで心配だ。
リーダーが孤独なのは仕方ないが、孤立はよろしくない。と思う。
一方のサービス重視のメンバーは、仕事の幅を広げる形で利益を増やすべきだと、企画中心の仕事をメインにしている。んだけど、従来の仕事が詰まって皆がヒーヒー言ってる状況でも、自分の部下にあたる後輩には企画の仕事以外をさせるつもりがないらしく、部下の手が空いている状況でも手伝わせることをしない。おい、サービス精神はどこへ行ったのだ。
……相変わらずメンドクサイなあ、キミたち。
自分の理想の仕事を追求するのはいいことだけれど、キミが嫌ってるその相手は「あなたが苦手な分野の仕事をしてくれている」んだけどなあ。感謝こそすれ否定するのはおかしくないかい?
新しいリーダーに変わって、まだまだ戸惑いと不安と誤解があるのだろう。ゆっくりでもお互いの理解が進めば、よい方向に向かうと思う。
リーダーが変われば職場は変わる
けっこうな時間話すうち、ふと彼が「こんくそさん、戻ってきてくださいよ」と言った。
僕は決して優秀なリーダーではなかったと思う。
描いていたことの3割も実現できなかったし。ただ、彼らや他部署が動いてくれないと仕事が進まないから、非効率であっても顔をつきあわせたコミュニケーションは欠かさないようにしていた。おかげで他部署に無理も聞いてもらえたし、トラブルは少なかったように思う。
彼がそのことを評価してくれていたようで、素直にうれしかった。
「給料を三倍くれるならいいよ」と返したけど。
辞めてから1年半。
職場を離れたおかげで見えるようになったことも多いから、古巣のみんなの話を聞きつつ、気づいたことを話してあげたい気持ちにかられた。社長がいない時にでも、会社に顔出してみようか……。
って、ダメだろそれは。
すぐ調子に乗ってしまうのは、子どもの頃からの悪い癖だ。
気をつけよう。
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LINEブログはPCから編集も投稿もできない(2017年9月20日現在)
スマホからの更新が面倒で放置中のLINE BLOG。
LINEブログは、現在もPCからの投稿はできない様子。
まあ、それはいいのです。
それよりも「LineBlog PC 編集」でGoogle検索してでてきたブログの記事が「PCから編集・投稿する」などと「さもPCから投稿できそうなタイトル」が多いことに腹が立った。
内容はどれも
- PCから編集はできません。
- PCで書いてメールにコピペしてスマホから投稿しましょう。
- 慣れれば簡単ですよ!
これもアクセスを上げるためのテクニックなんだろうか。
この記事が少しでも検索上位に出てくれば、役に立たない記事で僕のようにイライラする人が減るかもしれない。
そう思って、タイトルを「LINEブログにPCから投稿したくて検索したら腹が立った」にしたい気持ちをぐっと抑えてご覧の通りにしてみた。でも、たぶん難しいだろうな。
あと、昔からのユーザーはPCで編集ができるらしいですがそれは別の話。
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モヤモヤがたまってきたら「棚上げリスト」を作る
日々増えていくモヤモヤが仕事の邪魔をする
憂鬱なニュースを見たり、相談事をされたり、問題を抱えた人の手助けをしたいと思ったり、日々いろいろなことを考えていると「モヤモヤ」がたまっていく。
自分の知識が足りないために明快な解決策が出ないものなどは、ずっと頭に引っかかっている。で、仕事中ふと手が止まったときなどに頭をもたげてくる。その場で検索しちゃったりして時間を使ってしまう。
優先順位が自分の「知りたい」という欲望のせいで入れ替わってしまう瞬間だ。
知ることは楽しいし、考えるのも楽しい。ただいかんせん非生産的で仕事の効率が落ちるため、自律自制がきかなくなってくると「仕事が進まない」という、より切実なモヤモヤが発生する。
仕事しろバカ、と自分を叱咤してもモヤモヤは消えないので、そうなってしまったら「モヤモヤを追い出す」作業をする。
棚上げリストを作る
考えたいこと、知りたいことなどをリストにする。この時、深くは考えない。後で思い出せさえすればいいので、とにかくテキトーに箇条書きにする。Googleドキュメントでサラっと。
- NHK「穏やかでない最期」を見た感想がモヤモヤ。視聴者に投げすぎ感?あのソースを今後どう生かすのだろう。
- 死=積み上げたものがゼロになるなら努力など無駄なのではという問いについて
- もっと自由に生きるために世の中のしくみをもっと単純にできないだろうか
- 男運がない女友達の話は、「そういうわかりやすい男」が好きなんじゃ?
- 生きていく上で身につけたいことが増えてしんどい
- 老後も世の中の役に立つためには何ができるか
- 学校の先生がやる気ないっていうけど仕組みの問題じゃないのか
やる気があればできる!という考え方を肯定できる仕組みじゃないのでは - 手に余るもの(車、ネット)についてどう考えるか。確かハイアラキさんがいいこと言ってた
- 会社にいながら他の会社の仕事ができる環境は作れるか
- 複数の収入源を簡単に作ることができればみんなもっと楽になるんじゃ?
- それに伴って発生する税金ももっと楽に徴収できるんじゃ?
- 申告納税っていうのがそもそも欠陥ありでは?税理士さんに聞いてみよう
- 納税の自由度を上げるシステムとか作れないのかな。例えば僕だけ消費税15%とかさ。かわりに年金がちょっと増える、みたいな。
書き出すと、すこし頭がスッキリする。
結局、「考えなきゃいけない(と思い込んでいること)を覚えていなくちゃいけない」のがしんどいのかもしれない。
思いついた時点でどんどん棚上げしていけばいいんじゃない?と思うけど、考え事をしているときにはそういうことを思いつかないのだから仕方がない。
棚上げされたまま放置されるものもある
一度棚上げしてしまうと、そのまま放置されてどうでもよくなることも結構多い。何度も同じような項目が出てくる場合もある。でも、それでいい。
とにかく、仕事に集中しなきゃいけないのに考え事がしたくなっちゃうのがよろしくないのだ。できればリストを作らずともこんな状態になるのを防止したいんだけど。
「仕事に集中しなきゃいけないのに考え事に没頭してしまうのを防ぐにはどうしたよいか」をリストに追加しておこう。
給食の思い出
給食が美味しくなくてほとんどの子が残したという記事を見て。
僕が子どもの頃も給食が美味しくなかったなあ。
キャベツの芯がゴロゴロ入った、野菜をざく切りにしてマヨネーズであえた「サラダ」が出たことがあった。野菜から出た水でマヨネーズもシャビシャビのやつ。
当時小学校低学年で偏食もちだった僕は、その匂いも味もダメだった。
何とか口に入れようとするのだけれど、えずいちゃう。一口二口は牛乳と一緒に飲み込んだけれど、それ以上はどうしても箸じゃなくてフォークをつけることができなかった。
当時、給食を残すことは許されなかった。
食べ終わるまでは机の上に給食を置いたまま。昼休みも、午後の授業中も、掃除の時間も、帰りの会も、放課後も、ずっと僕だけ、給食を前にじっと座っていることになった。そのサラダのようなものを見つめたまま。
放課後みんながとっくに帰ったころ、雨が降り出した。
ひとりポツンと教室に残り、なぜみんなは平気なのに僕だけ食べられないんだろうとか、どうしてこんなものが食べられるんだろうとか、給食の先生はなんでこんなのを作るんだろうとか、残すのは悪いことだけど口に入れたら絶対に吐くから同じじゃないかとか、いろいろ考えていたけれど、結局どうしていいかわからず、ただただ時間が過ぎていった。
暗くなり始めたころ、担任の先生が教室にやってきて「帰っていい」と言った。
食べられなかったことについて、何を言われたかは覚えていない。何も言われなかったかもしれない。叱られた記憶はない。先生や給食の先生への恨みつらみもない。「やっと帰れる」という安堵だけがあった。
「はい」と返事をして給食室にトレイを持っていったあと、片道40分の通学路を、傘もないままトボトボと帰った。
その後も、控えめに言ってそのクソマズイ残飯みたいなサラダ(書いていて昔の自分がかわいそうになったのと、なんだか腹が立ってきたのでこう書く)は、何度か給食に出たはずだ。またこれか嫌だなあと思った記憶はあるけれど、どういうわけか放課後まで残された記憶はない。自分がそれを食べたという記憶もない。給食当番のクラスメイトが僕の分を芯がないようにしてくれたとか、そういうことがあったのかもしれない。
家での食事はどうだったろう?ロールキャベツは好きだったし、母がいろいろ工夫してくれていたのだと思う。ただ、生のキャベツは手をつけなかった気がする。
キャベツを食べた!とはっきり覚えているのは、高学年になって家庭科でサラダを作った時だ。千切りにしたキャベツに、サラダ油と塩コショウで作ったドレッシングをかけたシンプルなサラダ。
サラダを作ると聞いて憂鬱だったけれど、自分で作ったこと、千切りだったこと、シャビシャビのマヨネーズじゃなくてドレッシングだったのが良かったのだろう。初めてキャベツを食べて「美味しい」と思えた。
キャベツを刻むとき、芯を切り落とすと習った。今日作って食べたものがサラダだとしたら、あの芯だらけの、千切りじゃなくデカいカタマリが入ったアレはなんなのだ。僕は、給食の先生はサラダの作り方を知らないんじゃないか、と思った。
マヨネーズについてもそうだ。あのシャビシャビしたのがマヨネーズだと思っていた。後年、むにゅむにゅっと出したマヨネーズをキュウリにつけて食べたとき、初めて「美味しい」と思った。やっぱり、給食の先生は以下略。
あれから、野菜が品種改良で美味しくなったことや、大人になるにしたがって美味しいの幅が広がったことで、大抵のものを美味しく食べられるようになった。
でも、今でもコールスローサラダは苦手だ。
会社を改善しようとしたサイテーな僕の話
ブラック企業改善リスト
退職前に書いた「改善リスト」が出てきた。
一応立場は中間管理職であったので、課題として持っていたけれど実現できなかったことや、自分が理想とする職場環境を作るために必要と思ったことなど、当時の僕が思いつく限りを書き記したものだ。
100項目を超えるリストは、将来を見据えて個人で努力できること、部署で取り組むこと、全社で取り組むことなどさまざま。
改善が必要な理由や、改善後の効果も添えてある。
実現できれば、いくらかは明るい未来を描ける会社になるだろう。
せめてものご恩返しのつもりで作った改善リストだが、「辞めていく人間がこんなものを残したところで迷惑だろう」と思い直し、結局誰にも渡さなかった。
書いたことで気持ちがスッキリしてしまったのかもしれないし、辞めるにあたって経営陣にアレコレ言われたのを根に持っただけかもしれない。
1年半近く経った今、改めてリストを読み返してみたら、渡さなくて正解だと思った。
会社の閉塞感を何とかしたくていろいろ勉強していたから、内容は我ながらいいこと書いてる。だけど、書き方がマズイ。
「●●しなければ」とか「●●できないと●●だ」とか「●●すべき」とか。
現状全否定。ネガティブワード満載。
どこか上から目線であーだこーだと、当時の僕のねじれた気持ちが伝わってきて、いろんな意味でイタイ。控えめに言ってサイテー。僕、病んでたんだなあ。
現在の様子を知りたくなった
そんなことを考えていたら、前職場のメインクライアントが収益力アップを図るためM&Aを行うというニュースが入った。
前職場にとっては、M&A先の企業に出入りしている同業他社とバッティングすることになるわけで。つまり1つに減った企業をめぐる戦いが始まる。
気になったので、久しぶりに元同僚に連絡をとってみた。
「ピンチかもしれないけど、できることがいっぱいあるね」と言ったら
社長はじめ全体的に危機感も元気もなくて困る、と言っていた。うちの会社がみんなでまとまるのが苦手なのはよくご存じでしょう、とも。
リストを作った当時の空気が流れてきた気がして、返す言葉が見つからなかった。
なんだか、環境はいろいろ変わっているのに事態は悪い方へ向かっているようだ。
「やっぱりなあ」という気持ちと、「いわんこっちゃない」という気持ちが混ざり合った挙句、僕は「ほらね、僕がいないと困るでしょ」と思いたいのかもしれない、と気づいた。
仕事で実績を上げて見返すならともかく、相変わらずな人たちを外から見て留飲を下げようだなんて僕って相変わらずサイテーだなという結論に至った次第であります。
年月は人を変えるというけれど、人はそう簡単に変わらない。周りも僕も。
ああ、やさしくなりたい。